2027年のリニア開通を控え、名古屋駅周辺では建物の解体がいたるところで
行われています。
特に名古屋駅の西側は、雑居ビルや昔からの建物が多くなかなか開発が
進まない地域でした。
リニア駅の建設により、駅西が一新するようです。
どんな街になるかとても楽しみです。

名古屋市ホームページより
・解体中のビル

・解体中の建物

・リニア駅建設予定地

皆様、
こんにちは。
設計第二Group CAD室のエーチャンモーです。
先日は 第48回建築総合展ヘ行ってまいりました。
建築関係の壁、壁紙、タイル、塗材、滑り止め等のメーカー
が参加していまして 色々見られてよかったです。
地震体験車で震度7ほどの地震体験もできました。
本当に揺れていまして怖い限りでした。
こんな大きな地震が起こりませんようにと祈るくらいでした。
VR体験もできました。色々なパンフレットも もらいました。
設計事務所で働いている私の為に いい展示会でした。
また次回にも是非行きたいと思います。
以上です。
最近、社長の発言で「評論家は要らない」と云う文言を、しばしば耳にします。
では、「批判する」「批評する」とは、どのようなことを言うのでしょうか。辞書には、多少の異見は有りますが「対象物(人)の価値・善悪・優劣などを評価・判定すること。」と有ります。
しかし、評価・判定するための基準は何か、また何処に有るのでしょうか。
その基準は、評価・判定する個人の考え方や知識、経験に依って立つと云う、極めて曖昧な物差しが判断基準であり、単に世論を代弁して評しているに過ぎないことも多々有るように、私には思われます。テレビで御馴染みの討論会などは、相手の欠点ばかりを論い、論戦は批難・悪口に終始し、非生産的な発言に陥っています。
従って評価に当たって心掛けるべきは、対象物(人)を先ずは認め、肯定することからしか、始まらないのではないか。欠点は見方を変えれば長所であり、長所はまた欠点でもあると云われます。十人十色・無くて七癖・馬の耳に念仏・藪から棒・・・・・
また実例を挙げれば、小説の巻末にある解説(評論)では、筋書きの面白さや作者の長所ばかりが記されています。所謂「よいしょ」では有りませんが、良い面も評価する。しかし現実は、なかなかそうは行きません。
冒頭に書いた様に、評論することは「対象の価値・善悪・優劣などを評価・判定すること。」であり、所謂「けなす」ことに評論が偏重され過ぎていないでしょうか。その結果として、建設的な評価・判定に結びついて行かない。当社で具体例を挙げれば、私を含めて枚挙に暇はありませんが、それを言うと角が立つので言わないのである。
何の事はない、このブログも其の一例でした。
監理部のなかしまです。
9月が過ぎ、台風と共に10月に入りました。
我がユーエス計画研究所も第28期から第29期になりました。
今期のテーマは「実践」誰にも負けない強みを発信し、チーム力UP です。
第28期で各個人の強みを見つけてきました。
その見つけた強みを第29期に実践していきます。
各個人の色々な強みを発信し、強力なチームで第29期も成長していきたいと思います。
さあ「実践」していこう!!