コラム・ブログ

「覆水盆に返らず」  

2017年8月28日
 「一度言ったり、してしまったことは、もう取返しがつかない。」ことの喩です。
最近メディアで物議をかもしている、メーカーの「・・偽装」や政治家の「・・発言」など、事例には事欠きません。私も70年生きていますと、「何故あの時、あんなことをしたのだろう?」「どうして、あんなことを言ってしまったのだろう?」と落込み、反省したことは一度や二度では有りません。他人に誤解されたり、取返しのつかない結果となった行動や言動が、悔やまれてなりません。皆さんは如何ですか。通常は分別が有る(と思っている)自分が、何故そんなに後悔するようなことを言ったり、したりするのでしょうか。振返って考えてみると、そうした行動や言動は、自分が窮地に立たされている時、または(当事者ではなくて)傍観者の立場にいた時に現れるように思います。前者は、「苦し紛れの言い訳」や「少しでも早く、この窮地を逃れたい」と考えていた場合に起きそうなパターンです。後者は、自分が当事者ではない為、無責任に「自分には、直接関係ない。」と考えている場合に起こりそうなパターンだと言えます。例えば、K山参議院議員が、党の会合で「熊本地震は、選挙にとっては、良いタイミング。」と云う主旨の発言をしました。現政党が熊本地震への対応、救助対策を迅速に、且つ有効に行っている(と世の人が思うであろう)ポーズを執ることは、次期選挙戦に極めて有効である。即ち、地震を選挙戦に利用しようと云う被災者を無視した本音が、つい口をついて出てしまいました。此れなどは当事者意識が欠けた、後者のパターンの典型だと思います。
従って私の結論としては、自分が窮地に立った時、または無防備で油断している時こそ、言葉と行動に移る前に、一呼吸入れることを常日頃から心掛ける(習慣化する)必要が有る。と云うことだと思います。また、面と向かった発言だけが、他人を傷つける訳では有りません。噂話しが回りまわって、当の本人の耳に入ることも十分考えられます。
よく「起きてしまったことは仕方がない。」と云いますが、「他人の人生」や「他人の見方・考え方」まで捻じ曲げてしまうような言動は、取るべきでは有りません。しかし不幸にして、そうなってしまった場合でも、「覆水を盆に返す」(償いの)努力は、無駄かも知れませんが、やはり必要なのだと思います。  津坂