最近のTVニュースや週刊誌で、政治家の夜の接待、会合や芸能人の不倫騒動が、
盛んに取沙汰されています。
その第一声は、どの当事者も「そんなつもりは無かった。」
とか「ホテルで休憩しただけ。」さらには「記憶にない。」等々の定型文で釈明がされます。
従って、殺人を犯した一般の少年(少女)でも「私は何もしていません。」と(流石に、弁護士を呼べとまでは言わないでしょうが)一旦は否定することから、事が始まります。
しかし、面倒な紆余曲折の結果、最後は「私が悪うございました。」で一件落着です。
そのような事が起こるにつけ、思い出すのが次のような古代中国の諺です。
それは、「瓜田に靴を納れず、李下に冠を正さず。」という諺です。
瓜畑の中で靴の具合を直してはいけない。スモモの畑を通るときは、手を伸ばして冠を直してはいけない。
何故なら、そのつもりが無くても、「瓜を取るつもりではないか、スモモを盗むつもりではないか。」と疑われるからです。
一般人、まして公人であれば尚更、そのような疑いを招く行動は、厳に慎まなければならない。との教えです。
従って、この諺によれば最初の話は、そのような事をして無くても(多分しているが)疑われる行動を取ってしまった以上、有無を云わず即刻辞任が当然であり、言い訳無用と
思いますが、如何でしょうか。(往生際が極めて悪いです。)
しかし、わが身を振り返れば、ことの軽重の差こそ有れ、フムフムと思い当たる節が、少し有るような無いような・・・・。
何れにしても、古代からこのような諺があると云うことは、現代と同じことが数千年前にも行われていたことの証であり、飽くことなく延々と続いていることの証です。
私は、今日を機に「靴を納さない、帽子を直さない。」日々を送る決心を致しました。
「それが如何した。だから?」と言われると、身も蓋もないのですが。
2021.04.02
設計監理部 津坂