今回は、その存在が「当り前」となっている「コンビニ」と「スマホ」について一言。
コンビニと携帯電話が普及し始めたのは、夫々約30年、25年前頃のことです。従って、現在40歳代の人は、物心が付いた頃には、両方とも日常生活の中に、既に存在していました。ですから、その人達にとって、両方とも身近に有り、何時でも何処でも利用出来ることが「当り前」なのです。この、何時でも、何処でも利用できる。と云うことが、大いに曲者なのです。では、何が曲者(問題)なのかを次の二点に絞って、お話しします。
話を判り易くする為に、仮に「コンビニとスマホが、この世に無かったら。」と仮定します。そうすると、次の様な切実な大問題が生じます。一つ目は、働いている社会人にとって、朝・昼・晩の三食が採れない人(未婚者は大半)と、昼御飯に有り付けない学生諸君が出ます。しかも、かなり大量の人が、その状況に追い込まれそうです。二つ目の問題は、スマホが無いと、仕事の連絡や集合場所・電車の時刻表・予約・買い物等などに支障を来す。其れどころでは有りません。大半の日常生活と仕事が、成り立たなくなります。しかし仮に、そうなって不便極まりない状態になったとしても、それに余りある程の良いことが起きます。先ず、殆どの成人は結婚を余儀なくされます。理由は「衣・食・住」の内、「住」を除く「衣・食」特に食事を作るための同伴者が、どうしても必要になります。その結果、少子化が解消され、片方の多くが家庭に入ることで、正規就労者(非正規ではないことが味噌です)人口が増えます。そして、時間当たりの単価がアップし、共稼ぎも有りなので、収入アップとなり、高齢者の年金、ひいては自分達の将来にも有効です。スマホの消滅も、お互いが顔を見て、または声を聴いて会話したり、打合せを行うようになり、コミュニケーションが大変円滑、若しくは、素の対人関係が生じ、言いたい放題となれば、滅茶苦茶になって面白くなります。
誤解を受けるといけませんが、コンビニやスマホが駄目だと云っている訳では有りません。無かった時代を考えれば、大そう便利になり、快適な生活を送ることが出来るのですから。しかし、その反面、失ってしまったものも多く有ります。また、何より心配なことは、
コンビニもスマホも、それを販売(商品化)している会社が、いつ何時倒産するかも知れないことです。大規模な停電などは、いつでも起こりそうです。そこで結論、目の前に有る状況は「当り前」では無い。と云うことを意識すると良いのではないか。そのように考えると、この世の中の見方が少し変わるかも知れませんし、何よりリスクヘッジに有効だと思いますが、如何でしょうか。(津坂)