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「当り前」(副題:コンビニとスマホ)について。

2018年7月24日
今回は、その存在が「当り前」となっている「コンビニ」と「スマホ」について一言。
コンビニと携帯電話が普及し始めたのは、夫々約30年、25年前のことです。従って、現在40歳代の方にとっては、両者とも日常生活の中に、既に存在していました。従って、その人達にとって、身近に有って何時でも、何処でも利用出来ることが「当り前」なのです。この何時でも、何処でも利用できる。と云うことが、大いに曲者なのです。では何が曲者(問題)なのかを次の二点に絞って、お話しします。話を判り易くする為に、仮に「コンビニとスマホが、突然無くなってしまったら。」と仮定します。そうすると次の様な大問題が生じます。一つ目は、働く人にとって、朝・昼・晩の三食が採れない人(未婚者は大半)が大量に出現します。二つ目の問題は、スマホが無いと、仕事の連絡や集合場所・電車の時刻表・予約・買い物等などに支障を来します。しかし仮に、そうなって不便極まりない状態になったとしても、それに余りある良いことが起きます。先ず、殆どの成人は結婚を余儀なくされます。理由は「衣・食・住」の内、特に食事(弁当)を作るための同伴者が、どうしても必要になります。その結果、少子化が解消され、片方(女性とは限りません)の多くが家庭に入ることで、正規就労者が不足し時間給がアップします。当然ですが共稼ぎも有りなので、将来の年金受給にも有効です。スマホの消滅も、お互いが顔を見て、また肉声を聴いて会話し、打合せを行うようになれば、コミュニケーションが大変円滑、反対に言いたい放題となれば、滅茶苦茶になって面白くなります。誤解を受けるといけませんが、コンビニやスマホが不要だと云っている訳では有りません。無かった時代を考えれば、大そう便利な生活を送ることが出来るのですから。しかし、その反面、失ってしまったものも多く有ります。また、何より心配なことは、コンビニもスマホも、それを販売(商品化)している会社が、いつ倒産するかも知れないことです。大規模な停電などは、いつでも起こりそうです。そこで結論、目の前に有る現実は、永遠に存在する「当り前」なことでは無いかも知れない。と意識することが必要ではないか。そう考えると、世の中の見方が少し変わるかも知れませんし、何よりリスクヘッジと少子化の歯止めに、大変有効だと思いますが、如何でしょうか。
工事監理部 津坂